2021年9月30日木曜日

カイガラムシ

 隣の駐車場との境に植えてあるキンシバイに、カイガラムシが付いているのを見つけた。枝に真っ白な分泌物(虫体被覆物というらしい)がびっしりついている。いつの間にこんなに?農薬を使いたくないので使い古しの歯ブラシでこそげ落とし始めたが、根元から先まで数が多く、すべてて取りきるのは容易ではない。

 そんな折、フランスのラジオ局「france culture」の番組ニュースレターをスマホで見ていると、きれいなイラストと番組タイトルにあった単語「cochenille」に眼がとまった。単語を長押しして検索する。と、そこに現れたのは、葉裏にうごめく無数の白い小さな虫の画像。無意識に美しいものを想像していたのだろう。意表を突く害虫の出現に度肝を抜かれた。

 cochenilleはカイガラムシのことだった。害虫と書いたが、これは半分間違い。番組のテーマとなっていたのは、深紅色を生み出す色素の原料となるメキシコカイガラムシ。ウチワサボテンに寄生する昆虫で16世紀、コンキスタドールがメキシコの市場で売られているのを見つけ、色の鮮やかさと安定性に一驚した。この色素は貴族社会で珍重され、ヨーロッパの羊毛、絹の高級手工業に使われた。権力者やカトリックの高位聖職者の力を象徴するものにもなった。このカイガラムシを独占するため、スペイン人はメキシコ高地で生産に力を入れ、18世紀の終わりにはフランスの冒険家がこのカイガラムシを捕まえるため、医者に変装して入り込んだという。

 以上の知識は、番組の内容紹介にあったものの要約。放送も聴いてみたが、早口(もちろんフランス人に普通の速度)で、内容の半分も聞き取れなかった。この番組はゲストの研究者が今年2月、「赤いカイガラムシ 16-21世紀の世界を彩った昆虫の歴史」という本を出したことから企画されたようだ。

 キンシバイはきのう虫がついた枝(ほとんど)を強剪定した。庭のユキヤナギとブルーベリーにも白いものを見つけた。ため息が出るが、おかげで随分と勉強になった。




2021年9月26日日曜日

天然酵母とは?


 パン作りを始めて6年ほどになる。5月から天然酵母でつくるようになってから、身近なその食べ物の奥深さを感じるようになった。始めたころはレーズン種で何度か作ったこともあるが、毎朝食用に平均週1回は焼くとなると、結局、確実に膨らみ、失敗の少ないイーストを使うことに落ち着いた。

  世はパンブームだ。「天然酵母パン」という言葉もよく見かける。しかし、志賀勝栄さんの名著「パンの世界」(講談社選書メチエ)によれば、「いまの日本に、発酵種で作られたパンはほとんどありません。(中略)個人店で『天然酵母』を謳っているところはありますが、ほとんどはイーストと併用です」。この本が出てから7年たつ。状況はあまり変わっていないのだろう。              

 では、イーストは人工的なのか。同書から引用する。「イーストというのはサッカロマイセス属セルビシエ種の酵母菌を純粋培養しているだけであって、人工的に作り出したものではありません。イーストも自然由来の生き物」ということになる。イーストの身になれば、「天然」に対比されるのはちょっと心外だろう。

 では、天然酵母とはなんだろう。イーストのように純粋培養したものではなく、サッカロマイセスセルビシエ以外にも、さまざまな酵母や菌が入ったものだ。どうやったら作れるのだろう。小麦粉だけで発酵種をつくりたかったが、参考になるような本は見当たらない。フランスAmazonで探すと、口コミ評価の高い本が見つかった。


  

 「FAIRE SON LEVAIN」(自分のルヴァンをつくる)。ルヴァンは「酵母種」の意味だ。本の最初のほうに、祖先の食物と題して、こんなことが書かれている。

 「イーストが作られ商品化される前、私たちの祖先は何世紀ものあいだ天然酵母で滋養のあるパンを作ってきた。天然酵母を作り上げることは、パン作りの原点に戻ること以外のなにものでもない」。そして、著者は想像する。「最初の酵母種パンの始まりは、たぶんエジプト人が、精白していない穀物を片隅に放置しておくと、偶然にもその時の空気、気温、野生酵母が幸いして発酵し、膨らんだのだろう」。

 この本を参考書に小麦酵母種づくりを始めた。その試行錯誤についてはおいおい書いていきたい。


2021年9月21日火曜日

モーリアックの言葉

 

 

 日の出が遅くなるにつれ、散歩に出る時刻も少しずつ遅れる。明るみ始めた外に出ていく楽しみは、刻々と変わっていく空の変化、とりわけ雲と光の動きだ。一瞬として同じ姿にとどまらない空は、いつも飽きさせない。今朝の演出には思わず足がとまった。朝焼けの光に、水蒸気の薄く短いヴェールが何枚か浮かび上がった。見たことのない現象だ。以前は夕暮れに惹かれたが、老いとともに明けていく時間のほうが心安らぐ。ひとの一生を24時間に例えれば、今のわたしの年齢は日が沈んだあと、夜の始まりごろなのだろうが。

 歩きながら、きのう読んだボーヴォワールの「老い」にあったモーリアックの言葉を思い出す。正確な訳か自信はないが、次のような部分だ。

 「私はものや人と切り離されたとは感じない。しかし、生きていくことはこれからは自分のことをかまうだけで十分なのだろう。膝においた手にまだ流れるこの血、私の中で脈打つこの海、この潮の満ち干は永遠ではない。終わりにごく近いこの世界は、絶え間なく注意を求めてくる、最期の前まで常に。それが老いだ。なにも考えたくないが、私は存在し、そこにいる」(Nouvveaux Mémoires intérieursから)「続内面の記憶」と題して翻訳が1969年紀伊國屋書店から出ていた。

 その後にあったラテン語の「carpe diem」は何を意味するのだろう。調べると、ホラティウスの詩の一節だった。

Cueille le jour présent sans te soucier du lendemain 

あすを思いわずらうことなく、いまの日を摘め ボーヴォワールは「若いときよりもっと、高齢者はこの「carpe diem カルペ・ディエム」の時期になるだろう」と書いている。

 

2021年9月16日木曜日

ルドンのことば

 ルドンといえば作品もさることながら、書いたものもすばらしい。1867-1915の日記をまとめた「私自身に」(池辺一郎訳、みすず書房)は、その深い思索にふれることができる。

 「私は貧しさ常に愛した。ぼろの大きさを愛した」「人間の過ぎて行く日々は、彼の能力のただ一つが、目的を果たすにも足りない」「視線を空へ向けない者には、翼はない」

 次は時間がたっぷりある老いの身には、ありがたい。

 「閑というものは特権ではない。えこひいきでも、社会的不正義でもない。それによって精神や趣味が形をとり、自分がわかるようにもなる、よき必要である」

 次のことばは、読む人によって賛否が分かれるかもしれない。

 「男の性格は、その連れまたは妻を見ればわかる。すべての男は、その愛する女によってつまびらかにされる。逆もまた真であり、男をみれば、彼を愛する女の性格がわかる。 (中略)最大の幸せはつねに最大の調和から生じる---わたしはそう信じる」

 以上のことばは、上記「私自身に」からの引用ではなく、ジュリアン・バーンズの小説「人生の段階」(土屋政雄訳)からである。もちろん「私自身に」にも同じ言葉はある。

 ルドンがこう書いたのは、妻カミーユと出会う9年前のことだった。バーンズの小説には「したり顔の夫としてでなく、孤独な観察者として書いている」とあった。

2021年9月15日水曜日

オディロン・ルドン幻想

 

 

 自宅の南側テラスに置いたブーゲンビリア。差し込む光が庇でくっきりと明暗を分け、板壁が額縁のように花の周りを縁取る。階段をのぼった先で、この小さな風景を眼にしたとき、わたしは、ルドンのリトグラフ「昼」(1891年、『夢想』より)を思い出した。


 上の写真は福永武彦の「藝術の慰め」(1965年初版)に載っていたもの。福永が22人の画家たちの作品を取り上げ、筆の運ぶままに芸術の庭に遊ぶ1冊だ。その世界に無知だった高校生のわたしには、格好の美術案内だった。

 ルドンでは昨年3月に悔しい思いをした。国内随一のコレクションを誇るという岐阜県美術館に出かけたのだが、見ることができたのは「ダブルプロフィル」と題された小さな木炭画1点だけだった。問い合わせもせずに出かけたこちらが迂闊なのだが、特急「しらさぎ」を乗り継ぎ往復8時間、交通費1万円をかけての結果に、力が抜けた。あとで知ったのだが、その後、5月から8月にかけて、なんと「ルドンと日本」と題する展覧会が同館で開かれたのだった。

2021年9月14日火曜日

老いの気づき

 


 

 自分の老いに気づくのは、どんなときだろう。わたしの場合、ある日ふと覗いた鏡のなかで、首の皮膚がたるみ老人特有のしわが深く幾重にもできていることを発見したときだった。いつの間に、こんな姿になったのだろう。手の肌を見れば、張りもなくなり細かいシワだらけになっている。何十年ものあいだ毎朝、洗面台の鏡のなかの自分と対面してきたはずなのに、変化に気づかなかった。

 「人生の坂道はゆるやかなので、上っているのを感じない。文字盤の針が動いているのがわからないのだ」。シモーヌ・ド・ボーヴォワールの「La Vieillesse(老い)」の中で引用されていたセヴィニェ夫人の言葉に、思わず本から目を上げ、虚空を見つめた。

 さらに彼女はこんなことを書いている。「60歳になった顔を鏡で見せられ、それを20歳のときの顔と比べればびっくり仰天し、その姿が恐ろしくなる。しかし、私たちは時の経つのを意識することなく、きょうはきのうのように、明日はきょうのように進んできたのだ。それは私の愛する神の摂理による奇跡のひとつなのだ」

 セヴィニェ夫人は17世紀のフランスの公爵夫人。娘に宛てた手紙で知られ、プルーストの「失われた時を求めて」では、「私」の祖母と母がたびたび引用している。

 武満徹の言葉にも、セヴィニェ夫人と共通する老いの気づきを見つけた。「人間は漸次老いながら、しかし老いは突然のようにひとを訪れる。若さから老いへの階梯が眼にはとまらないように、とすれば、老若の断絶はやはり眼にはさだかではないが厳然と在るのであろう」(「武満徹エッセイ選」から)

センダイムシクイ

 お盆を過ぎた8月、滞在していた長野県原村での朝、八ヶ岳自然文化園の前を散歩していると、明るいさえずりが聞こえた。どこかで聴いた記憶があるがどこだったか。そうだ録音してみようと、スマホを取り出したはいいが、初めてのことなので手順がわからない。やっとアプリを見つけスタートしたときは、鳴きやむ直前だった。再生してみると、ツーツーピィノピィーとほんの一節だけ。ペンションの女性オーナーに聴いてもらったが、「わたし鳥は詳しくないの」でわからず仕舞いになった。

 なんとか突き止めたい。養老先生がテレビの中で「アヤメですかショウブですか」と和菓子店の主人に尋ねるシーンがあった。「名前がわからないと落ち着かないから」と話していた。深く同感した。散歩で見かけた草木の名前がわからなかったり、忘れて思い出せないと、ちょっとスッキリしない。そんな性分から草花の名前を覚えてきた。

 帰宅してから、昔買った「日本野鳥大鑑」を取り出した。この本には420種の鳴き声を収めたCD6枚が付いている。それらしき鳥のさえずりの入っているCDを少しずつ聞き始めた。3日目だったか、朝食のとき2枚目を聴いていると、向かいの妻が「これじゃない?」。確かによく似ている。何度か聴き直し、確信した。https://youtu.be/Z-bGfIuJWUI?t=5


 センダイムシクイの鳴き声が初めて耳に残ったのは、もう20年ほど前、新潟県十日町で山菜採りに参加したときだ。「焼酎一杯グイー」の聞きなしに近かった。新緑の里山を謳歌するかのような気持ちのいいさえずりだった。

 それにしてもCDで調べる前に、アプリの鳴き声図鑑やネットでもセンダイムシクイの声を聴いていたはずなのに、なぜ気づかなかったのだろう。鳥だって、個体や条件によってさえずりは微妙に違うということ。そこに思いが及ばなかったとは、まだまだ人間ができていないのだ。

なぜ書くのか

 なぜまたブログを始めようと思ったのか。ブログとTwitterをやめてからもう6年はたつ。tweetをせず、他の人のtweetも読まないのにアカウントはそのまましておいた。1000を超えるつぶやきをそのまま残しておいたのは、散らかした部屋をほうっておけない性分からすれば、まだ未練があったのか。先日思い立って、ようやく削除した。

 さまざまな言葉が飛び交う仮想空間に、他者を意識しながら声を出してみる気が失せたのに、またなぜブログを書くのか。10年日記を始めて8年。読書ノートも5年前からつけている。しかし、いずれも思いつくままに書くという性格ではない。頭の中で、独り言を続けていても、すぐに忘れ、消えていく。日々の生活に追われる若いときはそれでもよかった。しかし、高齢者に区分けされる年齢に入って2年。1月に心臓弁膜症の手術をすると、人生の残りを強く意識するようになった。入院後しばらく続いた、すぐに息の上がる心臓が、「メメントモリ」と人生に限りのあることを諭してくれた。そんな日を送るうちに、老いの日々を現在進行形で記していくことは、あっというまに過ぎていくいまを確認するうえで意味があるのではないかと考えたのだ。


新しい庭

 15年住んだ石川県かほく市から、群馬県安中市の生家跡に建てた新居に引っ越してまもなく3週間になる。古希を目前に、まさに終の棲家。  築百年以上経つ蔵を改装して、ギャラリーと休憩  ・談話スペースにする予定。蔵と母屋の間は井戸水を循環させた池を設け、鳥や昆...