肉を食べなくなってから1年半ほどになる。と言っても、厳格に菜食主義を課しているわけでもない。旅先の宿で肉料理を出されればいただく。卵やチーズなどの乳製品も食べる。しかし、豚、牛、鶏などの食肉や肉加工品は買わない。魚も煮干し、ちりめんじゃこ、練り物を除き、食べない。家人に肉料理をつくらないようお願いしているわけではない。家人が買い物を担当し、わたしが毎日2人分をつくっている。
肉食をやめたのは、いくつかの出合いが重なり、自然とそうなったというしかないが、一番大きかったのは、犬と過ごした10年の日々だ。
ソファの横に寝そべる犬をなでると、柔らかい毛を通し心臓の鼓動が伝わってくる。心拍は驚くほど速い。「ああ、生きている」。小さな命の存在にストレートに打たれる。
中上健次に「一本の草」というごく短いエッセイがある。夜中に目覚めた2歳の娘が作家の布団に入り込む。「私は頭を撫ぜる。この子ですら、死ぬのか、と思う。かつてたくさんの人が死に、いま母は、故郷でいつ死ぬかわからぬ状態にある。この子ですら死ぬのか」
このいま撫でている犬もいつかは死ぬのか。そう思ったことが何度かあった。その「いつか」は思ってもみない早さで、去年の秋に訪れた。
この夏、ペンションの女性オーナーと話していて、「犬からたくさんのことを教わりました」と言ったら、「一番は倫理観が強くなることですね」と返され、大いに納得した。
今年1月、病院のベッドで、青空文庫にある宮沢賢治の「フランドン農学校の豚」を読んだ。きっかけは忘れた。賢治の主な作品は読み、全集も不揃いだが持っている。でも、この作品があるのは知らなかった。読んで衝撃を受けた。ゆっくり読んでも30分はかからないので、ぜひご一読ください。
賢治は友人への手紙で「私は春から生物のからだを食うのをやめました」「けれども先日『社会』と『連絡』を『とる』おまじなえにまぐろのさしみを数切たべました。食われるさかながもし私のうしろにいて見ていたら何と思うでしょうか」と記している。(賢治の11通の手紙を収めた「あたまの底のさびしい歌」から)。賢治が菜食主義だったことは知っていたが、1934年にこんな先駆的な作品が出ていたとは、驚いた。宮沢賢治は100年生まれるのが早かったと書いていたのはロジャー・パルバースだったか。
「フランドン農学校の豚」を読んだ感想がネット上にあった。肉が大好きだという筆者は、「とても残酷なお話の部類に入る作品」だが、「ただの食育の話ではないところが面白いところ」と評したうえで、「『命を食べる』ことをはっと思い出させてくれて、もっともっと生きるために食べる『命』に感謝しなければならないと感じます」と綴っている。賢治が伝えたかったのは筆者がいう「もっと感謝して食べなさいという強いメッセージ」だったのだろうか。
正反対ではないのか。人間が動物の命を奪い食することへの強い疑義、いや異議だったのではないか。賢治は肉を食べることの罪悪感を手紙に吐露し、作品では倫理的な面から罪を告発したのだ。肉食派を励ましているとは、どこを読めばそんな都合のいい解釈ができるのだろう。
フランスのメディアや出版される本を見ていると、栄養学、環境、経済、文化、宗教など様々な面から、肉食をめぐる論議が高まっていることがわかる。現状を告発する屠殺場や養鶏場の実写映像も流れる。そんな本の中で目についたFlorence Burgat (フロランス・ビュルガ)の「L'humanité carnivore(肉食人類)」を少しずつ読んでいる。私のフランス語力では難物だが、読み甲斐を感じる。今春邦訳が出た彼女の「そもそも植物とは何か」を読み、刺激を受けたからだ。
肉食の普及後進国の仏教圏だった日本にあって、いまや焼き肉、ステーキの店が人気を集め、健康や活力に肉食は欠かせないと喧伝される。「長寿者は肉を食べている」「あの肉汁がたまらない」などなど。本当だろうか。塩や調味料なしでも肉は美味しいのか。そもそも「おいしさ」とは、食べ物や食べる場所、その場の雰囲気について、作る側・提供する側が意図的に流布させた情報によって左右される、極めて主観的な感覚ではないだろうか。
肉食をしないと健康を保てない?。商業主義によって、そう刷り込まれきたただけではないのか。きれいにパックされ、売り場に並ぶ肉からは、生きた動物の姿はまったく想像できない。いや連想させないように、食肉とリアルな牛・豚、2つの関係性は巧妙に遮断されてきた。殺生を戒めてきた遠い昔の倫理観は、もはやかけらも見られない。肉食とは極めて政治性を帯びた行為であり、文化である。
肉食はやめよ、などと叫ぶつもりは毛頭ないが、肉食に対する疑問の声が殆ど聞こえてこない日本は、不思議な国である。
肉食をやめてから、胃腸の調子はすこぶる良い。体重も下がり、健診の数値も改善された。肉を食べたいとはもう思わない。酒も同じころから飲まなくなった。変わったことといえば、左党から甘党になってしまい、毎日甘いものを食べないと落ち着かないことくらいだ。