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2021年9月21日火曜日

モーリアックの言葉

 

 

 日の出が遅くなるにつれ、散歩に出る時刻も少しずつ遅れる。明るみ始めた外に出ていく楽しみは、刻々と変わっていく空の変化、とりわけ雲と光の動きだ。一瞬として同じ姿にとどまらない空は、いつも飽きさせない。今朝の演出には思わず足がとまった。朝焼けの光に、水蒸気の薄く短いヴェールが何枚か浮かび上がった。見たことのない現象だ。以前は夕暮れに惹かれたが、老いとともに明けていく時間のほうが心安らぐ。ひとの一生を24時間に例えれば、今のわたしの年齢は日が沈んだあと、夜の始まりごろなのだろうが。

 歩きながら、きのう読んだボーヴォワールの「老い」にあったモーリアックの言葉を思い出す。正確な訳か自信はないが、次のような部分だ。

 「私はものや人と切り離されたとは感じない。しかし、生きていくことはこれからは自分のことをかまうだけで十分なのだろう。膝においた手にまだ流れるこの血、私の中で脈打つこの海、この潮の満ち干は永遠ではない。終わりにごく近いこの世界は、絶え間なく注意を求めてくる、最期の前まで常に。それが老いだ。なにも考えたくないが、私は存在し、そこにいる」(Nouvveaux Mémoires intérieursから)「続内面の記憶」と題して翻訳が1969年紀伊國屋書店から出ていた。

 その後にあったラテン語の「carpe diem」は何を意味するのだろう。調べると、ホラティウスの詩の一節だった。

Cueille le jour présent sans te soucier du lendemain 

あすを思いわずらうことなく、いまの日を摘め ボーヴォワールは「若いときよりもっと、高齢者はこの「carpe diem カルペ・ディエム」の時期になるだろう」と書いている。

 

2021年9月16日木曜日

ルドンのことば

 ルドンといえば作品もさることながら、書いたものもすばらしい。1867-1915の日記をまとめた「私自身に」(池辺一郎訳、みすず書房)は、その深い思索にふれることができる。

 「私は貧しさ常に愛した。ぼろの大きさを愛した」「人間の過ぎて行く日々は、彼の能力のただ一つが、目的を果たすにも足りない」「視線を空へ向けない者には、翼はない」

 次は時間がたっぷりある老いの身には、ありがたい。

 「閑というものは特権ではない。えこひいきでも、社会的不正義でもない。それによって精神や趣味が形をとり、自分がわかるようにもなる、よき必要である」

 次のことばは、読む人によって賛否が分かれるかもしれない。

 「男の性格は、その連れまたは妻を見ればわかる。すべての男は、その愛する女によってつまびらかにされる。逆もまた真であり、男をみれば、彼を愛する女の性格がわかる。 (中略)最大の幸せはつねに最大の調和から生じる---わたしはそう信じる」

 以上のことばは、上記「私自身に」からの引用ではなく、ジュリアン・バーンズの小説「人生の段階」(土屋政雄訳)からである。もちろん「私自身に」にも同じ言葉はある。

 ルドンがこう書いたのは、妻カミーユと出会う9年前のことだった。バーンズの小説には「したり顔の夫としてでなく、孤独な観察者として書いている」とあった。

2021年9月14日火曜日

なぜ書くのか

 なぜまたブログを始めようと思ったのか。ブログとTwitterをやめてからもう6年はたつ。tweetをせず、他の人のtweetも読まないのにアカウントはそのまましておいた。1000を超えるつぶやきをそのまま残しておいたのは、散らかした部屋をほうっておけない性分からすれば、まだ未練があったのか。先日思い立って、ようやく削除した。

 さまざまな言葉が飛び交う仮想空間に、他者を意識しながら声を出してみる気が失せたのに、またなぜブログを書くのか。10年日記を始めて8年。読書ノートも5年前からつけている。しかし、いずれも思いつくままに書くという性格ではない。頭の中で、独り言を続けていても、すぐに忘れ、消えていく。日々の生活に追われる若いときはそれでもよかった。しかし、高齢者に区分けされる年齢に入って2年。1月に心臓弁膜症の手術をすると、人生の残りを強く意識するようになった。入院後しばらく続いた、すぐに息の上がる心臓が、「メメントモリ」と人生に限りのあることを諭してくれた。そんな日を送るうちに、老いの日々を現在進行形で記していくことは、あっというまに過ぎていくいまを確認するうえで意味があるのではないかと考えたのだ。


新しい庭

 15年住んだ石川県かほく市から、群馬県安中市の生家跡に建てた新居に引っ越してまもなく3週間になる。古希を目前に、まさに終の棲家。  築百年以上経つ蔵を改装して、ギャラリーと休憩  ・談話スペースにする予定。蔵と母屋の間は井戸水を循環させた池を設け、鳥や昆...