ラベル 老い の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 老い の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年4月30日土曜日

オンソリ山とカタクリ


 白山市瀬波のオンソリ山(888.6m)を68歳の誕生日を記念して先日登ってきた。昨年1月に心臓の手術をしてからピークを目指す山歩きは初めて。心臓や足がどう反応するのか知りたかったこともある。

 オンソリ山(大恐山)は、書店で分県登山ガイド「石川県の山」を立ち読みしたとき、初めて山名を目にした。持っている古い版には記載のない山だった。登山口近くに広大なカタクリの群生地があるというのにも惹かれた。

 出かけた4月下旬、カタクリは終わっているようだったが、山頂近くではトクワカソウが見られるという。以前登ったことのある蟹ノ目山はこの花の群生が見事で、再訪したことがある。

 やはりカタクリはわずかしか咲いていなかった。1万坪という群生地はたしかに広い。しかし、ネットで「日本一広い」という記述を目にすると、全山をカタクリが覆う秋田の山を思い浮かべ、首を横に振るしかない。いまは仙北市になった旧西木村の群生地が有名だが、カタクリの広大な群生はそこに限らない。岩手県にもあちこちにあるようだ。どうも日本人は、ほかと比べることなく「日本一」と自慢したがる。「ここは日本一住みやすい」「ここの魚は日本一うまい」など様々に。そう言う人は決まって、他の土地に住んだこともなく、旅の経験も少ない。「ニッポンチャチャチャ」につながる心性である。

トクワカソウ

途中で見えた白山。山頂は眺望なし。

 ゆっくり歩いて山頂まで2時間。思っていた以上に急登が続いたが、ブナの新緑、残雪の白山、タムシバの白い花、トクワカソウに励まされた。怖いのは帰りだった。案の定、途中で足を取られて転んだ。左のヒザ下を擦りむいたが、その程度で済んだ。

 まだ里山程度なら歩けることがわかった。しかし、脚力は明らかに落ちた。急な下りを軽やかに追い抜いていくシニア男性の後ろ姿にため息が出た。あれに近い足運びができた日は遠い昔だ。もう山頂を目指すことはやめよう。頂きに立たなくとも、木々や花々を愛でることはできる。

 敬愛する辻まことは、ひたすらピークを目指すだけの、日本人の山歩きを馬鹿にしていた。日本では山歩きが文化にならないのは、山頂を極めてよしとする、そんなスタイルにあるのではないだろうか。負け惜しみに聞こえるが、山は一人で楽しむに限るとしみじみ思う。カタクリの花は見られなかったが、時期には登山者が数珠つなぎとなる山でなくてよかった。


盛りを過ぎたタムシバは香らなかった。

2021年10月16日土曜日

老境に入る

 

 

 セイタカアワダチソウが見ごろである。自転車で外出したついでに「写真を撮ってきた」と家人に言ったら、「いやだ」と返された。大いに嫌われている雑草のひとつだ。昔、気管支喘息や花粉症の元凶だと騒がれ、目の敵にされていたことがある。それは誤解だとわかったが、そのときの悪名がいまだに尾を引いている。同じ黄色の強雑草オオキンケイギクよりよほど日本の風景に馴染んできたと思うが、庭に生えてきたオオキンケイギクを抜かずにそのままにしておく家が少なからずあるのを見ると、雑草に対する好悪について考えさせられる。オオキンケイギクは、生態系への影響が懸念される特定外来生物に指定され、駆除が推奨されているのだが。

 好き嫌いの感情は先入観や誤解からくることが多い。また身近なものや似ている人に対して誤解、偏見、差別は起きやすい。欧米人に対して抱かない負の感情を近い国の人達に向けるのもその表れだ。社会心理学者の小坂井敏晶氏の本にあったことの受け売りだが、その指摘に蒙を啓いた。

 ボーヴォワールの「La Vieillesse(老い)」に、フロイドの晩年が紹介されている。心臓の不調に苦しんでいた1922年、66歳のフロイドはこう書いている。「今年の3月13日、わたしはいきなり老境に入った。それ以来、死への考えが頭から離れなくなった」。フロイドは翌年、口蓋の医療処置を初めて受けると、亡くなるまでの十数年の間に計33回に上った手術に苦しんだ。

 わたしが心臓の手術を受けたのも66歳。これを境に老いをひしひしと感じるようになったため、この記述を読み、偶然の一致に驚いた。老いはいつのまにか訪れて、ある日気がつき愕然とする。しかし、確実に老境に入ったことを強く意識することも人によって起きるのだ。

 フロイドといえば、昨年9月に観た映画「17歳のウィーン フロイト教授の人生レッスン」を思い出す。原作はローベルト・ゼーターラーの「キオスク」。ナチスのオーストリア併合前後のウィーンを舞台に、たばこ店で働く少年と客のフロイドの間に生まれた交流を描いている。

 ゼーターラーには、山に住むエッカーという男の80年の生涯を書いた「ある一生」(新潮クレスト)という小説がある。オーストリアの山深い自然のなか、孤独に向き合い不器用だがひたむきに生きる男の姿に、こころが揺さぶられた。イタリアの作家パオロ・コニェッティの「帰れない山」と一緒に、今年の息子の誕生日に贈った。ともに忘れがたい作品である。


2021年9月21日火曜日

モーリアックの言葉

 

 

 日の出が遅くなるにつれ、散歩に出る時刻も少しずつ遅れる。明るみ始めた外に出ていく楽しみは、刻々と変わっていく空の変化、とりわけ雲と光の動きだ。一瞬として同じ姿にとどまらない空は、いつも飽きさせない。今朝の演出には思わず足がとまった。朝焼けの光に、水蒸気の薄く短いヴェールが何枚か浮かび上がった。見たことのない現象だ。以前は夕暮れに惹かれたが、老いとともに明けていく時間のほうが心安らぐ。ひとの一生を24時間に例えれば、今のわたしの年齢は日が沈んだあと、夜の始まりごろなのだろうが。

 歩きながら、きのう読んだボーヴォワールの「老い」にあったモーリアックの言葉を思い出す。正確な訳か自信はないが、次のような部分だ。

 「私はものや人と切り離されたとは感じない。しかし、生きていくことはこれからは自分のことをかまうだけで十分なのだろう。膝においた手にまだ流れるこの血、私の中で脈打つこの海、この潮の満ち干は永遠ではない。終わりにごく近いこの世界は、絶え間なく注意を求めてくる、最期の前まで常に。それが老いだ。なにも考えたくないが、私は存在し、そこにいる」(Nouvveaux Mémoires intérieursから)「続内面の記憶」と題して翻訳が1969年紀伊國屋書店から出ていた。

 その後にあったラテン語の「carpe diem」は何を意味するのだろう。調べると、ホラティウスの詩の一節だった。

Cueille le jour présent sans te soucier du lendemain 

あすを思いわずらうことなく、いまの日を摘め ボーヴォワールは「若いときよりもっと、高齢者はこの「carpe diem カルペ・ディエム」の時期になるだろう」と書いている。

 

2021年9月16日木曜日

ルドンのことば

 ルドンといえば作品もさることながら、書いたものもすばらしい。1867-1915の日記をまとめた「私自身に」(池辺一郎訳、みすず書房)は、その深い思索にふれることができる。

 「私は貧しさ常に愛した。ぼろの大きさを愛した」「人間の過ぎて行く日々は、彼の能力のただ一つが、目的を果たすにも足りない」「視線を空へ向けない者には、翼はない」

 次は時間がたっぷりある老いの身には、ありがたい。

 「閑というものは特権ではない。えこひいきでも、社会的不正義でもない。それによって精神や趣味が形をとり、自分がわかるようにもなる、よき必要である」

 次のことばは、読む人によって賛否が分かれるかもしれない。

 「男の性格は、その連れまたは妻を見ればわかる。すべての男は、その愛する女によってつまびらかにされる。逆もまた真であり、男をみれば、彼を愛する女の性格がわかる。 (中略)最大の幸せはつねに最大の調和から生じる---わたしはそう信じる」

 以上のことばは、上記「私自身に」からの引用ではなく、ジュリアン・バーンズの小説「人生の段階」(土屋政雄訳)からである。もちろん「私自身に」にも同じ言葉はある。

 ルドンがこう書いたのは、妻カミーユと出会う9年前のことだった。バーンズの小説には「したり顔の夫としてでなく、孤独な観察者として書いている」とあった。

2021年9月14日火曜日

老いの気づき

 


 

 自分の老いに気づくのは、どんなときだろう。わたしの場合、ある日ふと覗いた鏡のなかで、首の皮膚がたるみ老人特有のしわが深く幾重にもできていることを発見したときだった。いつの間に、こんな姿になったのだろう。手の肌を見れば、張りもなくなり細かいシワだらけになっている。何十年ものあいだ毎朝、洗面台の鏡のなかの自分と対面してきたはずなのに、変化に気づかなかった。

 「人生の坂道はゆるやかなので、上っているのを感じない。文字盤の針が動いているのがわからないのだ」。シモーヌ・ド・ボーヴォワールの「La Vieillesse(老い)」の中で引用されていたセヴィニェ夫人の言葉に、思わず本から目を上げ、虚空を見つめた。

 さらに彼女はこんなことを書いている。「60歳になった顔を鏡で見せられ、それを20歳のときの顔と比べればびっくり仰天し、その姿が恐ろしくなる。しかし、私たちは時の経つのを意識することなく、きょうはきのうのように、明日はきょうのように進んできたのだ。それは私の愛する神の摂理による奇跡のひとつなのだ」

 セヴィニェ夫人は17世紀のフランスの公爵夫人。娘に宛てた手紙で知られ、プルーストの「失われた時を求めて」では、「私」の祖母と母がたびたび引用している。

 武満徹の言葉にも、セヴィニェ夫人と共通する老いの気づきを見つけた。「人間は漸次老いながら、しかし老いは突然のようにひとを訪れる。若さから老いへの階梯が眼にはとまらないように、とすれば、老若の断絶はやはり眼にはさだかではないが厳然と在るのであろう」(「武満徹エッセイ選」から)

新しい庭

 15年住んだ石川県かほく市から、群馬県安中市の生家跡に建てた新居に引っ越してまもなく3週間になる。古希を目前に、まさに終の棲家。  築百年以上経つ蔵を改装して、ギャラリーと休憩  ・談話スペースにする予定。蔵と母屋の間は井戸水を循環させた池を設け、鳥や昆...