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2021年12月19日日曜日

小鹿田焼

 

小鹿田焼の里
 

 念願の小鹿田焼の里を訪れることができた。小鹿田焼を知ったのは柳宗悦の「手仕事の日本」だった思うが、その岩波文庫は書棚に見つからなかった。20年以上も前だったと思う。

 別府での湯治2日目、別府駅前でレンタカーを借り、九州自動車道を日田へ向けて走った。土曜日だったが、訪れる人も少なく、里は山あいに静かに生業が営まれていた。

 柳はその本で「不便な所で荷を車で出す道さえありません」と書いているが、さすがに今はそんなことはない。しかし、途中の川の様子を見た途端、水害のニュースがよみがえった。2017年の九州北部豪雨に続き、昨年7月に起きた豪雨災害が甚大だったことがわかった。

 柳は小鹿田焼について、種類が大変多くて多彩とし、「こういう品物を台所なり食卓なりと置くと、花を活けているのと等しいでありましょう。それに驚くことにいずれも形がよく、醜いものとてはありません」と賞賛している。さらに「おそらくこの日田の皿山ほど、無疵で昔の面影を止めているところはないでありましょう。(中略)それ故昔の窯場がどんな様子であったかを思いみる人は、現にあるこの小鹿田の窯を訪ねるに如くはないと思います」と記している。

 「手仕事の日本」が世に出たのが1948年というから、柳が訪れたのは戦前のこと。しかし、今訪れてもその佇まいはあまりかわっていないと思わせるほど、里の風景は郷愁を誘う。小鹿田焼の歴史を紹介する陶芸館と窯元のほか、そば屋があるくらいだ。

購入した小鹿田焼と小石原焼(奥)

 6寸の皿と小鉢を買った。値段は驚くほど安かった。通販サイトで表示されている半値以下だ。家人の気に入った飯碗を買おうとしたが、さっきまでいた窯元の人の姿が見えない。すぐ横の住まいや作業場に声をかけたが応答なし。残念ながら諦めた。しかし、帰ってから代金とメモを残して持ち帰ってもよかったかなと思い返した。

 小鹿田焼は江戸中期、山ひとつ越えた小石原から陶工を招き、始まったとされる。小鹿田を訪れる前の日、別府・鉄輪温泉にある「冨士屋ギャラリー一也百(はなやもも)」のショップでマグカップを買った。てっきり、小鹿田焼だと思ったところ、店の女性に「陶技法を小鹿田の人に教えた小石原に窯を持つ人の作品です」と言われた。思わぬ縁を感じた。

 たしかに柳の書いているように、小鹿田焼の器に料理を盛ると、粗菜でも映えておいしく見えるから不思議だ。

2021年9月16日木曜日

ルドンのことば

 ルドンといえば作品もさることながら、書いたものもすばらしい。1867-1915の日記をまとめた「私自身に」(池辺一郎訳、みすず書房)は、その深い思索にふれることができる。

 「私は貧しさ常に愛した。ぼろの大きさを愛した」「人間の過ぎて行く日々は、彼の能力のただ一つが、目的を果たすにも足りない」「視線を空へ向けない者には、翼はない」

 次は時間がたっぷりある老いの身には、ありがたい。

 「閑というものは特権ではない。えこひいきでも、社会的不正義でもない。それによって精神や趣味が形をとり、自分がわかるようにもなる、よき必要である」

 次のことばは、読む人によって賛否が分かれるかもしれない。

 「男の性格は、その連れまたは妻を見ればわかる。すべての男は、その愛する女によってつまびらかにされる。逆もまた真であり、男をみれば、彼を愛する女の性格がわかる。 (中略)最大の幸せはつねに最大の調和から生じる---わたしはそう信じる」

 以上のことばは、上記「私自身に」からの引用ではなく、ジュリアン・バーンズの小説「人生の段階」(土屋政雄訳)からである。もちろん「私自身に」にも同じ言葉はある。

 ルドンがこう書いたのは、妻カミーユと出会う9年前のことだった。バーンズの小説には「したり顔の夫としてでなく、孤独な観察者として書いている」とあった。

2021年9月15日水曜日

オディロン・ルドン幻想

 

 

 自宅の南側テラスに置いたブーゲンビリア。差し込む光が庇でくっきりと明暗を分け、板壁が額縁のように花の周りを縁取る。階段をのぼった先で、この小さな風景を眼にしたとき、わたしは、ルドンのリトグラフ「昼」(1891年、『夢想』より)を思い出した。


 上の写真は福永武彦の「藝術の慰め」(1965年初版)に載っていたもの。福永が22人の画家たちの作品を取り上げ、筆の運ぶままに芸術の庭に遊ぶ1冊だ。その世界に無知だった高校生のわたしには、格好の美術案内だった。

 ルドンでは昨年3月に悔しい思いをした。国内随一のコレクションを誇るという岐阜県美術館に出かけたのだが、見ることができたのは「ダブルプロフィル」と題された小さな木炭画1点だけだった。問い合わせもせずに出かけたこちらが迂闊なのだが、特急「しらさぎ」を乗り継ぎ往復8時間、交通費1万円をかけての結果に、力が抜けた。あとで知ったのだが、その後、5月から8月にかけて、なんと「ルドンと日本」と題する展覧会が同館で開かれたのだった。

新しい庭

 15年住んだ石川県かほく市から、群馬県安中市の生家跡に建てた新居に引っ越してまもなく3週間になる。古希を目前に、まさに終の棲家。  築百年以上経つ蔵を改装して、ギャラリーと休憩  ・談話スペースにする予定。蔵と母屋の間は井戸水を循環させた池を設け、鳥や昆...