2021年10月8日金曜日

セートとハマゴウ


 久しぶりに海辺を自転車で走った。雲と風に包まれると、地上に生きる卑小な存在であることが五感で感じられる。それは言葉では尽くしがたい快感でもある。室内で過ごすときより、意識が気ままに転じていく。

 今朝、手に取ったロジェ・グルニエの「ユリシーズの涙」。偶然開いたページに、こんなことが書かれていた。

 「数年前のこと、セートの町にある『海辺の墓地』を訪れた旅行者が、ポール・ヴァレリーの墓はどこですかと番人に聞いたという。すると、その市職員は犬を起こし、命令するような調子で『ヴァレリー!』といった。犬が単独で、詩人の墓まで案内するようになっていたのだ」

 この文章は「謎」と題し、同書の冒頭に置かれたエッセーである。謎とは人間と動物の間に存在するある種の相互理解。グルニエは「この神秘的な交感を確かめたくて、この本を書いてみた」

 最初に読んだのは20年前。まだ犬は飼っていなかった。内容はすっかり忘れていたが、犬との10年の生活を経たいま再読すれば、まったく別の思いがわくだろう。

 セートは地中海に臨む小さな町。わたしは2回訪れたことがある。20代初め、ヴァレリーの詩「海辺の墓地」に誘われ、パリから、たしかペルピィニャン行の列車に乗った。窓口で「セート(Sète)まで」と言ったが、なかなか通じなかった。セを音引きせずにセットと言ったほうが原音に近い。セートはブラッサンスの生まれ故郷でもある。

 ヴァレリーの墓まで案内する犬はいなかったが、驚いたのは、近くのヴァレリー記念館をのぞくと、筑摩書房から出ていたヴァレリー全集が展示ガラスの向こうに鎮座していたことだ。

 昨年、セートについて、また驚かされた。アニエス・ヴァルダ特集の1本、「ラ・ポワント・クールト」を金沢で観たときだ。タイトルはセートにある漁村の名前だったのだ。この作品は1954年、彼女が26歳のとき、そこで撮った最初の作品。ヌーベルバーグを代表する作品のひとつ。

 
 さて、帰り道。自転車道脇によく見られるハマゴウはどうなっているかと目で探しながら、ペダルをこいだ。あった。やはりたくさん実をつけていた。夏に咲く青紫の花は、ローズマリーに似た芳香を放つ。実を取って、両手でこすり合わせてみた。花と変わらぬいい香りがした。



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