久しぶりに海辺を自転車で走った。雲と風に包まれると、地上に生きる卑小な存在であることが五感で感じられる。それは言葉では尽くしがたい快感でもある。室内で過ごすときより、意識が気ままに転じていく。
今朝、手に取ったロジェ・グルニエの「ユリシーズの涙」。偶然開いたページに、こんなことが書かれていた。
「数年前のこと、セートの町にある『海辺の墓地』を訪れた旅行者が、ポール・ヴァレリーの墓はどこですかと番人に聞いたという。すると、その市職員は犬を起こし、命令するような調子で『ヴァレリー!』といった。犬が単独で、詩人の墓まで案内するようになっていたのだ」
この文章は「謎」と題し、同書の冒頭に置かれたエッセーである。謎とは人間と動物の間に存在するある種の相互理解。グルニエは「この神秘的な交感を確かめたくて、この本を書いてみた」
最初に読んだのは20年前。まだ犬は飼っていなかった。内容はすっかり忘れていたが、犬との10年の生活を経たいま再読すれば、まったく別の思いがわくだろう。
セートは地中海に臨む小さな町。わたしは2回訪れたことがある。20代初め、ヴァレリーの詩「海辺の墓地」に誘われ、パリから、たしかペルピィニャン行の列車に乗った。窓口で「セート(Sète)まで」と言ったが、なかなか通じなかった。セを音引きせずにセットと言ったほうが原音に近い。セートはブラッサンスの生まれ故郷でもある。
ヴァレリーの墓まで案内する犬はいなかったが、驚いたのは、近くのヴァレリー記念館をのぞくと、筑摩書房から出ていたヴァレリー全集が展示ガラスの向こうに鎮座していたことだ。
昨年、セートについて、また驚かされた。アニエス・ヴァルダ特集の1本、「ラ・ポワント・クールト」を金沢で観たときだ。タイトルはセートにある漁村の名前だったのだ。この作品は1954年、彼女が26歳のとき、そこで撮った最初の作品。ヌーベルバーグを代表する作品のひとつ。
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