2024年4月2日火曜日

新しい庭

 15年住んだ石川県かほく市から、群馬県安中市の生家跡に建てた新居に引っ越してまもなく3週間になる。古希を目前に、まさに終の棲家。
 築百年以上経つ蔵を改装して、ギャラリーと休憩  ・談話スペースにする予定。蔵と母屋の間は井戸水を循環させた池を設け、鳥や昆虫も憩える空間にしたい。
 きのうから池の水を貯め始めた。ジル・クレマンの「変化する庭」に倣いたい。

2024年4月1日月曜日

えん麦を蒔く

先日蒔いたライ麦の隣にえん麦を蒔いた。ばら撒きしてから、長靴で踏んだだけ。どのくらい発芽するか?3年前に心臓弁膜症の手術をしてから、体力がすっかりなくなった。加齢も拍車をかけている。不耕起草生農法と書くと聞こえがいいが、ものぐさ、手抜き農法でもある。

2024年3月27日水曜日

ライ麦を蒔く

 

何年も耕作されていなかった実家の畑に、ライ麦のタネを蒔いた。2年前に別の畑に秋蒔きした残り。前回はよく育ってくれたが、春蒔きはどうか。夏に生い茂っていた草は枯れ、その下の土は軟らかだ。不耕起草生農法の始まりだ。

2022年7月3日日曜日

 タイトルの「萱」は、神田神保町にある居酒屋である。先日、上野で美術展を観てから神保町の本屋で時間をつぶし、5時の開店とともに店に入った。4年前の7月に栗駒山に登った帰り、東京で1泊した際、訪ねて以来だ。

 初めて店の暖簾をくぐったのは、よく覚えていないが、もう20年ほど前になる。2002年の秋以降だったことは間違いない。なぜなら、吉田仁著「葉山日記」(かまくら春秋社)が出たのが同年9月だから。この本に「萱」の名前があり、それを見て行ってみた。錦華通りを水道橋に向かって歩いたところにある。著者は1938年生まれ、元雑誌編集長で葉山町在住。

 同書はタイトル通り、葉山に住む著者の日記なのだが、内容はどこそこで酒を飲んだという記述がほとんど。出てくる店の数もおびただしい。本の帯に常盤新平が「他人が酒を飲んで、そのことを書きしるした日記がどうしてこんなにおもしろいのだろう」と書いているが、その通り。はしご酒で深更に及ぶ飲みっぷりに、著者の体が心配になるが、飄々とした姿に、読み飽きない不思議な本だ。酒にだらしなかった往時の我が身を省みて、その坦々とした姿に敬意を覚える。

 東京の本社勤めのころは、3日と空けず神保町で本屋をのぞいていたこともあり、そこにある店なら行きやすかった。当時の女将はSさん。信州生まれで、とても気っ風がいい人だった。板書されたメニューは、どれを頼んでも美味しかった。酒も焼酎を主に地酒が並び、目利きの良さを感じさせた。福島から北陸へと居を移してからは訪ねる機会も減ったが、都合がつけば立ち寄るのが楽しみだった。残念ながら2年前に、83歳で亡くなられた。

 前置きが長くなったが、書きたかったのは、先日そこで食べた「牛蒡と牛肉の山椒煮」。山椒のピリリとした風味がごぼうと牛肉の旨味と食感を引き立て、なんとも言えないおいしさ。後から頼んだ新生姜のかき揚げもすばらしかった。2代目女将のNさんの腕前に唸るしかなかった。



 家に帰ってからあの味を再現すべく、まず実山椒を通販で注文。金沢の近江町市場ものぞいたが、粒の小さい鮮度もいいとは言えない品しかなかった。届いた三重県産の山椒は大粒で新鮮だった。しかし、300グラムの実を枝からむしるだけで大変だった。茹でてさらしたが、長くさらしたせいか、あの辛味が抜けすぎてマイルドになってしまった。それでも噛むと弾ける食感と痺れ感は、他に比べるものがない。牛蒡の山椒煮、昆布の佃煮、ちりめん山椒をつくり、残りは冷凍庫に入れた。

2022年7月2日土曜日

ネムノキ


 ネムノキが花盛りだ。朝早く、犬と散歩していると、風に乗って強く香ってきた。園芸種の植物に比べれば、洗練さで劣るが、悪くない。その花が香ると気づいたのは、この地に引っ越してきた10数年前だが。

 学生時代のある夏、友人2、3人と伊豆に遊びに出かけた。旅程は覚えていないが、西伊豆の民宿に泊まり、海で泳いだ。その前日、南伊豆の吉田海岸まで行った記憶がぼんやりとある。その帰り、バス停のあるところまで引き返す道すがら、見上げるとネムノキが道を覆うように咲いていた。歩き疲れたころ、後ろから軽トラックが来て止まり、国道まで乗せてくれた。その思わぬ“拾う神”に感謝した思い出が重なり、ネムノキは鮮やかに記憶に刻まれている。

 その前のことだと思うが、春休みに1人で奥石廊から南伊豆を経て、西伊豆の雲見まで歩いたことがある。入間から吉田までは海沿いに遊歩道がある。その時の恐怖は今も忘れない。

 入間から小さな岬を曲がると、道は断崖に出る。道幅は大人の肩幅ほど。足元から数十メートル下は、飛沫をあげて波が砕ける石浜だ。折から猛烈な季節風が海から吹き付けてきた。強風と高度感とで足がすくみ、這うようにしてしか前に進めない。もちろん前にも後ろにも人影はない。引き返す手もあったのだろうが、前に進むことしか頭になかった。吉田海岸に着いたときの安堵感はなんとも言えなかった。いま、あの道はどうなっているのだろう。

 山歩きでも高所で恐怖を感じたことは何度もあるが、あの海辺の道で進退窮まったときほど怖いと感じたことはない。


2022年5月29日日曜日

香る季節

道端に咲くノイバラ


 きのう自転車で山道を下っていると、風のなかにノイバラの香りがした。白い小さな釣鐘状の花をつけた木があったので、行き過ぎてから戻ってじっくり眺めた。エゴノキだった。この花も香りを放つが、急斜面に生えていて近寄れず、香りはかげなかった。

 エゴノキを知ったのは学生時代、友達を誘って武蔵丘陵森林公園を歩いたとき。プレートにその名前を見つけた友人のKが「面白い名前だな」と笑った。名前の由来は、苦味の強い果皮を食べるとエグみを感じるところからついたようだが、友人が連想したのはエゴイストの「エゴ」。つまり自意識。以前、ブログに書いたが、ジョン・グレイは「猫に学ぶ」で、人間という動物の特別なみじめさの原因として、「再帰的自意識」を挙げていた。

 Kは当時、クラシックギターを熱心に習っていた。大学卒業後、百貨店に就職したが、ギターを諦められず会社を辞めてプロを目指した。しかし、コンクールに挑戦しても落選が続き、失意のため自死した。不惑を過ぎていた。エゴノキは、その友人の思い出と切り離せない。

トベラの花

 今朝、犬の散歩のとき、道沿いのトベラとシャリンバイが花盛りだった。トベラをかぐと、いい香りがした。バラ科のシャリンバイも芳しい。ともに海岸近くに生えるので、当地に住んでからよく目にするようになった。

 朝食後、庭で草取りや水やりをした。しゃがんで作業をしているとバラが香ってきた。12年前に住んでから、毎年バラの苗を植えてきた。20種くらいになった。庭に点在するバラと、これもすっかり大きくなった3本のオリーブ。風にそよぐオリーブの葉叢を眺め、バラの香りに鼻孔をくすぐられて、なんとも言えない安らぎを覚えた。室内では、鉢植えのアラビアジャスミンがまだ花をつけている。

つるバラ「フィリスバイド」。これは香らない


2022年5月16日月曜日

ガビチョウ

 

板鼻堰の水辺

 歌うように大きな音色の鳥のさえずりが聞こえ、思わず足を止めた。これまで耳にしたことのない美声。スマホのアプリで録音して解析すると、ガビチョウと表示された。

 調べると、中国南部から東南アジア北部にかけて生息し、ペットで買われていたものがかご抜け、または故意に放されて留鳥となり、いまは南東北、関東、中部、九州北部で見られるという。特定外来生物に指定されている。

 鳴き声を聞いたのは、群馬県安中市板鼻の旧道を歩いていたとき。ここは中仙道の宿場町だったところで、私のふるさと。いま往時の歴史を偲ばせるものはほとんどない。1月に父が亡くなり、その旧道に面した実家を継ぐことになった。そのため、毎月、実家の整理に通っている。時代の波に洗われ、街道沿いの商店も少なくなった。古い家が取り壊され、新しく建てられた家も目につく。そんななかで、旧街道の北側を流れる板鼻堰の風景は昔とそう変わらず、ホッとする。子どものときは日常の風景として意識することはなかったが、故郷を長く離れた者の目には、懐かしさもあるが、絵になる風景として少し自慢したくもなる。

 ガビチョウは北陸にはいないから、思わぬ出会いだった。

新しい庭

 15年住んだ石川県かほく市から、群馬県安中市の生家跡に建てた新居に引っ越してまもなく3週間になる。古希を目前に、まさに終の棲家。  築百年以上経つ蔵を改装して、ギャラリーと休憩  ・談話スペースにする予定。蔵と母屋の間は井戸水を循環させた池を設け、鳥や昆...