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| アカメガシワの新芽 |
朝、雑木林とぶどう畑の間を抜ける道を歩く。鳥たちの鳴き声がにぎやかだ。カワラヒワ、ホオジロ、シジュウカラは常連組。双眼鏡を手に歩くが、声と姿をゆっくり楽しませてくれることはなく、飛び去ってしまう。
W.Hハドソンは「鳥たちをめぐる冒険」(講談社学術文庫)のなかで、人生の最大の楽しみの1つとして、「生物の生活領域の真っ只中に、いわば目にみえぬ姿となって入ってゆくこと。本当にそうしたいと思えば不可能ではない」と書いている。生物とは鳥たちのこと。「小さな小鳥のなかには私たちの罪のない覗き見を気軽にかなえてくれるものがいる」と。
ハドソンはアルゼンチンのパンパに育った。自然とともに生きた幼年時代の思い出をつづった自伝文学の傑作、「はるかな国とおい昔」(寿岳しづ訳、岩波文庫)を読むと、鳥たちの世界に魅せられたハドソンの親和力を感じる。私にはとてもそんな鳥たちの警戒を解くことはできないが、上記の本を読んで、鳥たちへの興味がかつてなく湧いてきた。たしかに人間への距離のとり方は、鳥によって違う。シジュウカラは近くを通りかかっても、すぐに逃げたりせずにさえずり続けることが多い。
鳥の鳴き声や姿から名前がわかる野鳥が少しずつ増えてきた。そうなると、鳥の存在がずいぶん身近に感じられるようになる。それは鳥に限らない。草や木々、雲でも名前をわかるようになると、「自然」と一括りすることになんの意味もなくなるのと同じだ。

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