| 小鹿田焼の里 |
念願の小鹿田焼の里を訪れることができた。小鹿田焼を知ったのは柳宗悦の「手仕事の日本」だった思うが、その岩波文庫は書棚に見つからなかった。20年以上も前だったと思う。
別府での湯治2日目、別府駅前でレンタカーを借り、九州自動車道を日田へ向けて走った。土曜日だったが、訪れる人も少なく、里は山あいに静かに生業が営まれていた。
柳はその本で「不便な所で荷を車で出す道さえありません」と書いているが、さすがに今はそんなことはない。しかし、途中の川の様子を見た途端、水害のニュースがよみがえった。2017年の九州北部豪雨に続き、昨年7月に起きた豪雨災害が甚大だったことがわかった。
柳は小鹿田焼について、種類が大変多くて多彩とし、「こういう品物を台所なり食卓なりと置くと、花を活けているのと等しいでありましょう。それに驚くことにいずれも形がよく、醜いものとてはありません」と賞賛している。さらに「おそらくこの日田の皿山ほど、無疵で昔の面影を止めているところはないでありましょう。(中略)それ故昔の窯場がどんな様子であったかを思いみる人は、現にあるこの小鹿田の窯を訪ねるに如くはないと思います」と記している。
「手仕事の日本」が世に出たのが1948年というから、柳が訪れたのは戦前のこと。しかし、今訪れてもその佇まいはあまりかわっていないと思わせるほど、里の風景は郷愁を誘う。小鹿田焼の歴史を紹介する陶芸館と窯元のほか、そば屋があるくらいだ。
| 購入した小鹿田焼と小石原焼(奥) |
6寸の皿と小鉢を買った。値段は驚くほど安かった。通販サイトで表示されている半値以下だ。家人の気に入った飯碗を買おうとしたが、さっきまでいた窯元の人の姿が見えない。すぐ横の住まいや作業場に声をかけたが応答なし。残念ながら諦めた。しかし、帰ってから代金とメモを残して持ち帰ってもよかったかなと思い返した。
小鹿田焼は江戸中期、山ひとつ越えた小石原から陶工を招き、始まったとされる。小鹿田を訪れる前の日、別府・鉄輪温泉にある「冨士屋ギャラリー一也百(はなやもも)」のショップでマグカップを買った。てっきり、小鹿田焼だと思ったところ、店の女性に「陶技法を小鹿田の人に教えた小石原に窯を持つ人の作品です」と言われた。思わぬ縁を感じた。
たしかに柳の書いているように、小鹿田焼の器に料理を盛ると、粗菜でも映えておいしく見えるから不思議だ。
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